ヒサヤ大黒堂

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ヒサヤ大黒堂について

古来よりの家傳薬

明治十二年

第十七代堂主国太郎が、明治政府公認の
売薬許可を受けて以来、痔疾専門の医薬品製造と
直接販売にかかわる法人「ヒサヤ大黒堂」として
今日に至っています。ご苦悩される方々を完治に
お導きしてまいりました。数限りない
治療実績が確かな薬効と安全性を証明しています。

一般頒布

創薬以来、不思議膏は永田家の秘蔵薬として
門外不出とされてきましたが、全快者の口づてで
薬効の評判が広まり、第七代堂主久七の代に
ご苦悩者の熱望に応えて一般に頒布され、
多くの人に治療いただけるようになりました。

四○六年

家傳薬不思議膏は、重い痔に苦しむ我が子を
救いたいという創薬の祖、永田久右衛門の
強い親の愛から生まれました。
原料の生薬にも、その配合処方にも一切の妥協を
許さず、最高の治療を追い求めた結果、
他にはない薬効を持つお薬が誕生いたしました。

家傳薬について

家傳薬の誕生

「ある男、生まれつきにて 尻の穴あま多ありけり」。
病草子のぢ瘻(周囲膿瘍)の絵と、この一文に
初代永田久右衛門の視線はくぎづけとなりました。
愛児松介の病は、もはや疑う余地がない死の病だ。
そう思った瞬間全身に衝撃が走り、眉間に苦渋の
表情を浮かべました。「死なせてはならない」。
生き抜くことの尊さを、戦乱の世にあって
身をもって実感してきた久右衛門には、
「死」は自らが全力を尽くしても、何としても
避けねばならないことだったのです。
三河国西尾(現愛知県西尾市)大給松平藩の
要職にあった久右衛門の生活はこの日から
一変しました。愛児の身体に心を砕き、
内外の医薬書を日夜ひもときました。

しかし、学問だけでは薬はつくれません。薬づくりを
後押ししたのが、製茶、製塩、雲母(きらら)精錬という、
当時の西尾の伝統産業でした。その生産技術から、
原料の生薬の混合、抽出、蒸溜といった薬づくりの
基本的な手法を習得したのです。
いつしか自宅には珍しい生薬が積み上げられ、
久右衛門は茶室大黒を薬づくりの場に寝食を忘れて
薬づくりに没頭しました。

薬の成就、痔疾完治を祈願して名刹鳳来寺山鳳来寺を
はじめ、遠く離れた能勢妙見山にも
登山参籠をなしたと伝えられ、薬づくりに賭けた
久右衛門の執念ともいうべきその姿は、
家人も寄せつけない険しいものだったことは
想像に難くありません。
この刻苦がついに実り、慶長十六年(1611年)、
生薬配合の妙による不思議膏を授かったのです。
松介は、慈父の愛に応えんと必死に治療に励み、
回生を果しました。父を尊び敬う孝子松介は父の志を
継ぐべく、長じて家傳薬づくりに精魂を傾け、
その子にも秘薬を伝授して一子相傳による
家傳薬継承の礎を築きました。

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